上原亜衣 – AV女優列伝
引退記念!上原亜衣 BEST8時間 コンプリートボックス(桃太郎映像出版)より
無名の企画AV女優から伝説を作った女の子
初めての仕事はナンパされる素人女性
2011年にデビューし、2016年に引退した上原亜衣さん。5年間の活動期間中に1000本近い作品に出演したという伝説のAV女優さんです。
2013年にはDMM.R18(現FANZA)の年間女優ランキングで1位、その翌年の2014年にはDMMアワード2014では最優秀女優賞プラチナを受賞するなど人気・実力共に日本のAV女優の頂点に立ちました。
しかし上原亜衣さんが伝説と言われるのは、無名の企画女優からスタートし、トップへと駆け上がったその成長の過程を含めてのことなのです。
AV女優は、メーカーと専属契約を結ぶ「単体女優」と、複数のメーカーの作品に出演する「企画女優」という2種類に分類されます。そして企画女優の中でも人気が高く知名度がある人は「企画単体女優」と呼ばれます。
上原亜衣さんのAVデビューはレズナンパされる素人女性役でした。つまり企画単体ではなく、バリバリの企画女優だったわけです。ちなみにその時のレズの相手は、これもレジェンドクラスの企画単体女優の大槻ひびきさんだったそうです。
月に25日撮影の過密スケジュール
短大生だった上原さんは、土日だけのアルバイトというつもりでAV女優の仕事を始めたため、企画女優になったということもありました。人前に立つ仕事をすれば、自分に自身が持てるようになれるのではないか、という気持ちもあったそうです。つまり、有名になりたいという目的ではなかったのです。
しかし撮影を重ねていくうちにAV女優という仕事の面白さに目覚めていきます。またその可愛らしいルックスと、過激なプレイもこなすという積極性で注目され、上原亜衣の名前が知られていき、企画単体=キカタンと呼ばれるようになります。
アナルファックやドリルバイブ(工作用ドリル機の先端にバイブをつけたもの)プレイまでこなし、特訓で身につけた潮吹きを自在に操る上原亜衣さんは、人気女優となり、AVメーカーからオファーが殺到。
一ヶ月のうち25日はAV撮影があり、その他の日は取材や撮影会、つまり休みが全くないほどの過密スケジュールとなりました。
引退しても「上原亜衣」
企画女優でも、単体女優に負けたくないとい気持ちで仕事に励んでいた上原さんですが、はDMMアワード最優秀女優賞プラチナを獲得し、文字通り頂点に登りつめ、目標を達成した途端に、燃え尽きてしまったそうです。
そして上原亜衣さんは引退を発表。大規模な引退作を残して、AV女優としての上原亜衣は2016年に姿を消したのです。
しかしその後、2019年にTwitterで復活。スタイルブックを出版したり、テレビに出演したり、You Tubeチャンネルを開設したりと、タレント活動を開始します。
また「第2の上原亜衣」をプロデュースするオーディションや、自らオーナーとなるメンズビューティーサロンを開設するなど、その活動は多岐にわたっています。
しかしそれはあくまでも「AV女優であった上原亜衣」であることが前提であり、それは隠さないと、自伝『キタカン日記』(双葉社)で本人が語っています。上原さんはAV女優という仕事に誇りを持っているからなのです。
上原亜衣 – AV女優列伝まとめ
決して恵まれた状況でのスタートではなかった上原亜衣さんですが、それでも日本のAV女優の頂点に立つことができました。しかしそれは本人が真面目に仕事に向き合ってきた結果なのです。自分が上へと行くためには何をすればいいか、上原さんは常に考えて実行してきました。AV女優という仕事においても、そうした心構えがあって、初めて成功することが出来るのです。