昭和のAV女優は「ビデギャル」と呼ばれていた
日本のAVが誕生したのは、1981年と言われています。この時に、AV女優という職業も生まれたのですが、当時の人気女優は、成人映画などに出演していた女優でした。
その後、AVを中心に活動する女優も増えてきたのですが、その大半は作品ごとに名前が変えられるなど、まだ「AV女優」という職業として確率されていませんでした。ちなみに当時は「ビデオギャル」「ビデギャル」という言い方が主流でした。
80年代後半になると、現在もレーベルとして活動している「宇宙企画」というメーカーがAV女優をアイドル的に売り出す手法で人気を博します。
AV女優がレコードデビューをしたり、ライブをしたり、写真集を出したりという活動はこの頃から始まりました。
昭和の頃のAV女優は、借金を抱えていたり、家庭に問題があったりという事情のある子が多かったようです。
バイト気分の子が増えた90年代
90年代、平成に入るとそれまでレンタルビデオショップ専門だったAVが、販売用にも作れられることになり、メーカーが急増。制作される本数も一気に増えたことで、AV女優の需要も多くなります。
この頃から、特に事情もなく「割のいいアルバイト」ぐらいの軽い気分でAV業界に入ってくる子が増えました。
この時期は、女子校生が下着などを売るブルセラや、援助交際などが流行したことから、若い女性にセックスに対してオープンな意識が広がっていたということも影響しているのかもしれません。
また、空前の風俗ブームもあり、風俗からAVへ入ってくる女の子も多い時期でした。
全体的にバイト感覚でやっている女の子が多いという印象で、プロフェッショナルという意識は薄かった気がします。
どんな女の子でも仕事があったという業界の状況のためかもしれません。
企画女優が脚光を浴びた00年代
00年代はある意味でAVが最も盛り上がっていた時期だったかもしれません。
00年代初頭にはキカタンブームが起こり、それまで単体女優より下に見られていた企画女優の中でも、人気のある子が企画単体女優と呼ばれるようになり、脚光を浴びました。その中には単体女優以上の人気を誇った企画単体女優もいました。
熟女の人気が高まったのもこの時期からで、他にも痴女ブーム、芸能人ブームなどもあり、AV女優の枠が一気に広がりました。
それまでのVHSからDVDにメディアが変わったこと、レンタルからセルへと主流が変わったこと、インターネットが普及したことなど、業界にも大きな変化が訪れました。
蒼井そらさん、小澤マリアさんなど日本のAV女優が海外で人気を集めるようになったのもこの時期です。
AV女優が女性にも支持された10年代
2008年に結成された恵比寿マスカッツのブレイクや、スマートフォンの普及によりAV、そしてAV女優に興味を持つ女性が増えました。
「可愛い女の子」「魅力のある女の子」としてAV女優(この頃からセクシー女優という言い方も使われるようになりました)を捉える女性も多くなりました。
「吉沢明歩さんに憧れて」「明日花キララさんみたいになりたくて」など、AV女優に憧れてAV女優になるという女の子が目立つようになったのがこの頃です。AV女優が、女性に憧れられる時代となったのです。
それまでAV女優は、スカウトされて業界に入ってくるのが当たり前だったのが、自ら応募してくる女性の割合もどんどん増えていきました。
またTwitterなどのSNSで情報を発信してファンを増やすなどの営業活動をAV女優自らが行うようになりました。
AV女優たちの意識が大きく変わったのが10年代だったのです。
そして「令和」のAV女優は?
令和の時代を迎えて、AV業界は、そしてAV女優たちはどう変わっていくのでしょうか?
AV業界が厳しい状況に置かれているのは事実です。制作費も削られ、女優のギャラも下がる傾向にあります。
その一方でAV女優になりたいという女性は増加しており、既に飽和状態にあります。
AVメーカーも、少しでも売れる作品を作りたいと考え、人気のある女優を起用するため、一部の女優に仕事が集中しています。そして、その分、仕事のない女優も増えているのです。
そんな過当競争の中で生き残っていけるのは、どんなAV女優なのでしょうか?
ルックスはもちろんなのですが、それ以上に重要なのは他の女優と差別化できるセールスポイントでしょう。
それは胸の大きさなどのルックスに起因するものだけではなく、キャラクターや得意プレイなどでもあるでしょう。
そうした自分のセールスポイントを自覚してアピールできる女優ことが令和時代のAV業界には必要とされるのです。